第二章「終活を考えるとき」
ケース9「俺には、何もない?」
「おまえ、ストレスためてんのか?なんか最近、随分やつれてないか?」
久しぶりに会った友人が、俺の顔を見るなり言った。
『そうか?』
「そうか?じゃねーよ。ちょっと痩せただろ。」
最近、胃がムカムカすることはあったし、食欲も少し落ちた気はする。
でも、歳のせいだと思っていた。
『あー、そのうち会社で健康診断あるから、そんときになんか出るかもな~。飲みすぎによる肝硬変です!禁酒!って言われるかもな🤣🤣🤣』
「笑ってる場合かよ。病院行けよ。」
そんな話をしながら、
『お兄ちゃん!今度はこの酒頼むわ~!』
と、その店で一番気に入った酒を、もう一杯頼んだ。
俺は結婚したことがないから子供もいない。両親も、もういない。
ギャンブルというものは、たまの競馬と、億万長者を夢見て毎年買う、年末ジャンボくらいなもんだ。
一番の楽しみは、気の合う仲間と旨いものを食べながら酒を飲むことだった。
変わった酒が置いてある店を見つけては、
「次、これ飲んでみようぜ。」
なんて言いながら、旨い肴をちびちびつまむ。それくらいの、ごく普通の生活だった。
去年の健康診断だって、年相応のことを少し言われたくらい。だから今年も、似たようなもんだと思っていた。
ところが――
今年は「要検査」が出た。そして、さらに詳しい検査。
結果は、
がんだった。
しかも、思っていたより進んでいた。
手術をはしたが、全部は取り切れなかった。
退院してしばらく経った頃。そろそろ、あいつには話しておこうと思った。
まだ思うように食事もとれず、外で会う気にもなれないから家に呼んだ。
玄関を開けると、酒の入ったコンビニ袋を片手に、あいつがニコニコして立っていた。
「久々だな――🤣 ……って、おい。。。」
あいつの笑顔が消えた。
「なんだ、その顔色……。おまえ何があった?」
『色々だよ、いろいろ。酒は飲めねーんだ。悪いな買ってきてもらったのに。。まぁ、座れよ。』
あいつは黙って袋を置いた。
「……で?」
『ん?』
「色々って、なんだよ。」
どうやって言えばいいのか分からなかった。
だから、そのまま言った。
『がんだった。』
「…………は?」
『手術はした。ただ転移してるらしくてな。』
「…………。」
『取り切れない厄介な場所に、まだな、がんが住み着いてやがんだ。』
あいつは何も言わなかった。
『そんな顔すんなって🤣』
笑ってみせたけど、あいつは笑わなかった。
「……これから、どうすんだよ。」
『いい先生なんだ。だから、その先生信じて治療するよ。』
『いろいろ薬変えて、試してみるつもりだ。』
『先生もまだ諦めてねぇし。俺も、やれることはやってみる。』
「……そっか。」
『まぁ、それでダメなら……しゃーないな🤣』
「しゃーなくねぇだろ。」
『…………。』
「しゃーなくねぇよ。」
その日、あいつは持ってきた酒を、一本も開けなかった。
それから、治療が始まった。
薬を変えてはしばらく試し、また変える。
調子のいい日もあれば、朝から何もする気になれない日もあった。
それでも病院へ行った。薬も医者の言われるままに欠かさず飲んだ。
まだ、効くかもしれない薬は、効くものだと信じ続けていた。
そんな治療中、俺はスマホで一本の動画を撮った。
体力も衰えつつあると気づいたころだった。いや、気づいていたからかもしれない。
もしものことがあったとき、あいつに何か残しておこうと思ったのだ。
あいつに、何を話せばいいのかも分からないまま、昔のことを思いつくままに話した。
二人でバカなことした昔の笑える話ばかりだった。
そして最後に、普段なら絶対に言わないようなことも話した。
撮り終えた動画は、日々の投薬治療に明け暮れて、そのままスマホの中に忘れられた存在として取り残されていた。
そんなある日、あいつから電話がかかってきた。
「今度の連休なんだけどさ、車で箱根でも行かね?」
元気な頃なら二つ返事だった。
『いーな。行こう、行こう!宿どこにするよ?』
そう言えていた。
でも最近は、合う薬がなかなかなく、合わないくせに体調が悪い日も多い。
『悪ぃ……。行く気分じゃねぇんだ。』
「そっか。」
少し間があって、
あいつがいつもの調子で言った。
「たまには外に出て、温泉でもつかりゃぁ元気になるって🤣」
その瞬間だった。
『そうだな!』
自分でも驚くくらい、大きな声が出た。
『健康でさ、元気なおまえにはこんな辛さ、分かんねーだろうな!ひょいひょい行ける身体じゃねーのに、よく言えるよな、んなこと!』
電話の向こうが静かになった。
「そうだよな……。悪かったよ。」
『…………。』
「行きたくなったら言ってくれ。俺はいつでも付き合うからな。またな。」
電話が切れた。
言ってしまった。
とうとう禁句を。
あいつが俺に元気を出させるために言っていたことくらい、百も承知だった。
生きる希望を持たせようと、笑わせてくれていたことも。
全部、分かっていた。
なのに俺は――
元気なあいつが羨ましかった。
歩けること。
食べられること。
好きなところへ行けること。
当たり前のように、次の連休の予定を立てられること。
羨ましかった。
最近は、
「元気そうじゃねーか🤣」
そんな一言にさえ、傷つくことがあった。
元気じゃねぇよ。気ぃ使って笑ってるだけだ。
心配してくれている友達に八つ当たりして、
病気になる前なら笑って流せたような一言に腹を立てて。
俺は最低なやつだ。
そう思うと、何もかもどうでもよくなりそうになった。
薬も。病院も。治療も。もう、いいんじゃねぇか?
一瞬、そんなことまで考えた。
でも――
あいつに、あんな感情をぶつけて、傷つけてしまったこと。俺はまだ謝ってない。
箱根にも行ってない。
それに俺はこの先、長くないことを薄々感じてはいるが、愚痴を吐きながらも生にしがみついている女々しいやつだ。
『なんだ、まだ生きて―んじゃねーか。俺。』
もういいと思ったり。まだ生きたいと思ったり。
感情が行ったり来たりする、そんな頃だった。
以前撮った動画を、見やすいように編集してくれる業者があることを知った。
俺は持っているスマホひとつの使い方すらもマスターできねーってのに、
世の中には、これを見やすいように編集してくれる業者ってーのが出てきてるんだ。
すごい時代だ……。
せっかく撮ったんだ。ちゃんと形にしておこう。
そう思って、編集を頼んだ。
出来上がるまで、約一か月。
その間も俺は、病院へ行き、薬を飲み、髪の毛は抜け落ちたが、食べられる日は食べた。調子のいい日は、できるだけいつもの生活をした。
治療も、日常生活も頑張った。
そして、一か月ほど経った頃。
「物」が届いた。DVDだった。
どんな出来になってるんだ?
そう思って、俺は一人で再生してみた。
画面に映った自分を見て、驚いた。
そこには、
今の俺より、はるかに健康的な姿をした俺がいた。
声にも張りがある。
よく笑っている。
何より――生きる希望で、まだキラキラが見えるくらい輝いて見えた。
思わず笑った。
『なんだよ、こいつ🤣』
最後まで見て、俺は流れる涙とともに呟いた。
『うん。撮っといて正解だったな。』
今の俺が撮ったら、きっと違う動画になる。
辛い。
しんどい。
怖い。
そんな気持ちばかりが先に出て、謝りたかったあいつを、今度は困らせるかもしれない。悲しませるかもしれない。
でも、
画面の中の俺は笑っていた。
『この頃の俺に、今の俺が元気もらってどうすんだ。』
そして、画面の中の自分に言った。
『もうちっと頑張るわ、俺。』
再生を止め、俺はスマホを手に取った。あいつに電話した。
『明日、休みだったよな?悪いけどさ、暇なとき、うち来てくれねぇか?』
「分かった。」
その日、玄関を開けると、あいつは両手を広げて笑って言った。
「今日は何も買ってきてねぇぞ。」
『正解🤣』
あの日以来、初めて顔を合わせた。
俺は切り出した。
『この前は……悪かったな。』
「何が?」
『箱根の話だよ。』
「ああ。」
『お前が俺のこと考えて言ってくれたの、分かってた。』
「…………。」
『分かってたのに、八つ当たりした。』
「うるせーなぁ…。別にいいよ。」
『よくねぇよ。』
少し黙ってから、俺は言った。
『元気なお前が、羨ましかったんだ。』
あいつは何も言わなかった。
『……悪かった。』
しばらくして、あいつが言った。
「じゃあ、箱根は?」
『まだ無理🤣』
「そっか。」
『でも……行けそうになったら、俺から言う。』
「おう。待ってるわ。……ってか、そんなことだけで呼んだんじゃねーだろ?なんか頼み事あんじゃねーの?」
こういう勘だけは働くやつなんだ。
言い辛かったことを引き出してもらえて助かった。そう思った。
『あ。ちょっと待て。』
俺は、届いたばかりのDVDを持ってきた。
『これ。』
「何だよ。」
『お前に。』
「俺に?」
『そう。』
あいつはケースを見たまま、すぐには受け取らなかった。
『俺が撮った動画。編集してDVDにしてもらった。』
「…………。」
『そんな顔すんなって🤣』
「だってお前、これ……。」
『分かってる。』
俺はDVDを差し出した。
『持っててくれ。』
あいつは少し迷ってから、受け取った。
「……いつ見るんだよ。」
『俺がいなくなったら。』
「…………。」
『それまでは絶対見るなよ。』
「見るかよ。」
『お前、信用ならんからな。』
「じゃあ渡すなよ🤣」
『確かに🤣』
二人で笑った。
でも、あいつにはまだ話していない。
このDVDの中で、一体、俺が何を話したのか。
こんなことだ。
社長でも、億万長者でもない。
家庭が無いから、財産を残せる相手もいない。
ないない尽くしのこの人生。
俺には、何もない。
ずっとそう思ってきた。
でも、自分の人生の終わりが見えてきたからこそ、大切なものを忘れていたことに気づいたんだ。
『おまえという存在があった。』
『これは、俺にとっての財産だ。』
年末ジャンボを外し続けて云十年だが、俺は既にあいつという大当りを引き当ててたんじゃねーかな…。
その他には、
『禁酒条例が外された際には、うまい酒見つけたら俺にも分けてくれ』
とか
『箱根行ったら思い出してくれ』
とかそんなところ。
あと…、
『あ。これ見てるってことは、俺もういないんだよな?』
『だったら今度、俺が好きだった酒、一杯だけ飲んでくれ。』
『別に高いやつじゃなくていいぞ。おまえの金だし🤣』
結局は、煩悩の塊のような内容がほとんどだが……。
最後に
『一緒に過ごしてくれて、本当に感謝している。』
『ありがとうな。』
少し間を置いて、
『またどっかで逢おうや!』
そう言った瞬間、涙が溢れた。
これが、俺の一番言いたかったことなのかもしれない。