第二章 終活を考えるとき
ケース1.「感謝を伝えよう」
私は、その辺によくいる普通のサラリーマン。
朝起きて、スマホを片手にあくびをしながら身支度を整え、妻が用意してくれた朝食を、味わうわけでもなく食べる。
「んじゃぁ、行ってくるわ。」
それが、いつもの朝。
帰宅すると、妻が何かと話しかけてくる。
近所の人の話。
久々に会った妻の友人との会話。
スーパーでこんなことがあったとか、テレビでこんなのを見たとか。
「へぇー、そうなんだぁ。」
相槌はちゃんと打つ。
でも、その内容なんてほとんど頭には入っていない。
その頃の私は、スマホゲームのイベントの方がよっぽど気になっていた。
「ねぇ!ちゃんと聞いてるの!?」
そう怒られることもしばしば。
別に妻が嫌いなわけじゃない。愛している。それは本当だ。
ただ、近所の話や妻の友人との会話なんて、正直なところ興味がなかっただけ。
それでも相槌くらいは打っているんだから、
「俺はちゃんと妻の話を聞いてやっている、いい夫だ。」
そんなふうに思っていた。
今考えると、ずいぶん都合のいい話だ。
その日も、いつもと変わらない夜だった。
夕飯を食べ終え、私はいつものようにスマホを触っていた。
妻は食器を片づけながら、今日あったことを話していた。もちろん私は、
「へぇー。」
「そうなんだ。」
いつもの相槌。
そして――
ガシャン!
突然、大きな音がした。
振り返ると、妻が床に倒れていた。
最初は何が起きたのか分からなかった。
名前を呼んでも返事がない。
慌てて救急車を呼んだ。
病院で告げられたのは、心筋梗塞だった。
幸い、処置が早かったこともあり、妻は助かった。
そう。
助かったんだ。
なのに、病院で一人になった私は、なぜかずっと考えていた。
今日、妻は俺に何を話していたんだろう。
思い出そうとした。
夕飯のとき、何か話していた。
その前にも何か言っていた。
昨日も。一昨日も。
毎日、妻は俺にいろんなことを話していたはずなのに。
何ひとつ、思い出せなかった。
覚えているのは、
「へぇー。」
「そうなんだ。」
自分が返した、適当な相槌ばかりだった。
そして、もうひとつ。
妻に最後に、「ありがとう」と言ったのは、いつだっただろう。
朝食が出てくること。
洗濯された服があること。
帰れば妻がいて、どうでもいい話をしてくること。
全部、当たり前だと思っていた。
妻を大切に思っていなかったわけじゃない。愛している。
それは本当だ。
ただ――それを、妻に伝えていただろうか。
妻が退院して、しばらく経ったある日のこと。夕飯を食べながら、妻がまた話し始めた。
「今日ね、スーパーで○○さんに会って――」
いつもの話だ。
私はいつものようにスマホへ手を伸ばしかけて、、、やめた。
妻の顔を見る。
「それで?」
妻が一瞬、きょとんと変な顔をした。
「……何よ。」
「いや。続き😅」
「気持ち悪いわねぇ🤣」
そう言いながら、妻はまた話し始めた。
相変わらず、近所の話にはそれほど興味はない。
そこは今も変わっていない。
でも、少しだけ変わったことがある。
妻の話を聞くこと。そして、ときどき言葉にすること。
「ありがとう」なんて、いつでも言える。
ずっとそう思っていた。
でも――
いつでも言えると思っている言葉ほど、
案外、言わないままになっているのかもしれない。
だから今日も私は、
「ごちそうさま。ありがとう。」
そう言ってから、食器を下げる。
今では妻の身体の負担を考え、食器洗いは私がやっている、いや、やりたいんだ。
すると妻は、
「どういたしまして。」
と、何でもない顔で答える。
私が妻に伝えたい「ありがとう」は、
―生きていてくれて、隣で笑っていてくれてありがとう―
これもある。
病院のベッドで意識を取り戻し、朦朧としている妻の手を握ったときは素直にこの言葉を言えたのだ。なのに不思議なもので、妻が元気になりつつある今は、言いたくても喉がつかえてしまう。
「ありがとう」は言えるようになった。
ただ、
「生きていてくれて、ありがとう。愛している。」
これは、まだ少し照れくさい。
いつか、ちゃんと言えるだろうか。
妻に伝えたいことは、たぶん「ありがとう」や「愛している」だけじゃない。
一緒に暮らしてきた時間のこと。
あのとき嬉しかったこと。
本当は謝りたかったこと。
そして、これからも隣で笑っていてほしいということ。
面と向かうと、どうにも照れくさい。
だから今はまだ、
「ごちそうさま。ありがとう。」
これが私の精一杯。
いつか、その先の言葉をちゃんと伝えられる日が来るまで。
妻の回復より圧倒的に遅いとは思うが、私は私で「感謝を伝えるリハビリ」をしていくつもりだ。